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東京地方裁判所 昭和51年(行ウ)205号 判決

原告 福田信隆 ほか一名

被告 神田税務署長

代理人 宮北登 吉岡榮三郎 ほか二名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  原告ら

被告が昭和五〇年六月三〇日付で原告らの相続税についてした更正処分のうち総遺産価額二億九七一〇万五三二五円を基礎として算出される額を超える部分及び過少申告加算税賦課決定を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二原告らの請求原因

一  訴外福田生蔵(以下「生蔵」という。)が昭和四八年一〇月三一日に死亡し、原告福田信隆は子として相続により、同原告の妻である原告福田美恵子は遺贈により、その他の相続人ら七名とともに右生蔵の財産を取得した。

二  そこで、原告らは、右相続又は遺贈に係る相続税についてそれぞれ自己の分を次表<略>申告欄記載のとおり申告したところ、被告から同表更正欄記載のとおり各更正処分及び過少申告加算税賦課決定(以下一括して「本件課税処分」という。)を受けたので、これに対して異議手続を経て審査請求をしたが棄却された。

三  しかしながら、本件相続税の算定の基礎となる総遺産価額は二億九七一〇万五三二五円であるのに、本件の相続財産に含まれていた賃貸地の評価を誤つたため右総遺産価額を過大に認定した本件課税処分は違法である。

四  よつて、前記の限度で右課税処分の取消しを求める。

第三請求原因に対する認否

請求原因一、二は認めるが、同三は争う。

第四被告の主張

一  本件相続に係る正当な総遺産価額は、原告らの申告額二億九六七一万三五六一円に土地の過少評価額一三七四万五七六九円と定期預金の経過利子三九万一七六四円とを加算した三億一〇八五万一〇九四円であるから、右の範囲内で行われた本件課税処分に違法はない。

二  右の加算項目のうち、原告らが争う土地の過少評価額について説明すれば、次のとおりである。

1  生蔵は、昭和二一年に訴外野原富吉(以下「富吉」という。)に対して本件相続財産に含まれていた生蔵所有の埼玉県大宮市堀の内三丁目一〇八番地及び同所一〇九番地の土地一〇二八・〇九平方メートル(以下「本件土地」という。)を貸し、富吉が死亡した昭和二八年九月二日以降はその子訴外野原伊佐男(以下「伊佐男」という。)に使用させていたところ、原告らは、本件土地を賃貸地としその価額を九二七万六二五〇円と評価して本件相続税の申告をしたが、右土地についての貸借関係は使用貸借にすぎないものであるから、本件相続税を算定するに当たつては所有権を制限する利用権の存しない自用地としての評価額二三〇二万二〇一九円を基礎にすべきである。したがつて、右自用地としての評価額と原告らの申告額との差額一三七四万五七六九円を本件総遺産価額に加算すべきことになる。

2  本件土地についての貸借関係が使用貸借である理由をふえんすれば、次のとおりである。

(一) 生蔵は、以前から出入りの大工として身内同様の間柄であつた富吉が戦災のため自宅を焼失し住居に困窮していたのをみかねて、昭和二一年頃富吉に対し暫くの間同人とその家族の住居用のバラツクを建築することを目的としてたまたま生蔵が使用していなかつた本件土地を貸与したものの、その際地代及び使用期間等の具体的な取決めは一切行われず、その後伊佐男らが本件土地から立ち退いた昭和五〇年に至るまで右の点についての約定が結ばれたこともなかつた。

(二) 生蔵は、本件土地の貸与について盆暮に富吉から儀礼的な贈答を受けていただけで、同人の死亡後はなんらの金員の収受も行われなかつた。仮に、原告らの後記主張のとおり生蔵が昭和二四年頃から富吉死亡までの間同人から年二〇〇〇円の支払いを受けていたとしても、これは、昭和二四年ないし同二五年当時の本件土地(三一一坪)の近隣貸地の地代が坪当たり月額一円七七銭ないし二円七〇銭であつたことに比し極めて低額(一〇分の三ないし五分の一)であるばかりでなく、そもそも賃貸借契約の取決めによつて収受されたものでもないのであるから、右二〇〇〇円は、土地の使用収益の対価である賃料の性質を有していたものとは到底いえない。

(三) 伊佐男は、昭和五〇年七月四日本件の相続人らとの間で本件土地から立ち退くことを合意し、これに伴い相続人らは伊佐男に対して立退料として一二〇〇万円を支払つたが、これは、本件土地の時価の約一五パーセントと低額であるから、借地権があることを考慮して算定されたものではない。

第五被告の主張に対する認否

一  被告の主張一のうち、定期預金の経過利子三九万一七六四円が本件の総遺産価額に含まれるべきであることは認めるが、その余は争う。

二  同二1のうち、生蔵が富吉に対して本件相続財産に含まれていた生蔵所有の本件土地を貸し、富吉が死亡した昭和二八年九月二日以降はその子伊佐男に使用させていたこと、原告らが本件土地を賃貸地としその価額を九二七万六二五〇円と評価して本件相続税の申告をしたことは認めるが、生蔵が富吉に本件土地を貸したのが昭和二一年であること、右土地についての貸借関係が使用貸借であることは否認する。同2(一)のうち、富吉が生蔵方出入りの大工であつたこと、生蔵と伊佐男との間で地代等について約定が結ばれなかつたことは認めるが、その余は否認する。同2(二)のうち、生蔵と伊佐男との間で金員の収受が行われなかつたことは認めるが、その余は争う。同2(三)のうち、本件の相続人らが伊佐男に対し本件土地からの立退料として一二〇〇万円を支払つたことは認めるが、主張の趣旨は争う。

第六原告らの反論

一  富吉は、昭和二三年に生蔵から賃貸借契約に基づき本件土地を借り受けたものである。

1  本件土地上にはかつて生蔵所有の木造工場があつたが、富吉は、戦災で自己の家を焼失したため、生蔵の好意で右工場内に居住していたが、これに不便を感じ、昭和二三年生蔵の承諾を得て右工場を解体しその古材を利用して本件土地に自己の居住用家屋を建築した。

2  本件土地の使用収益に対する対価として年額二〇〇〇円の賃料が定められ、富吉はこれを年二回に分けて支払つていた。右賃料額は、富吉が生蔵方の建築土木の相談、大掃除、小修繕、大売出し等の労務を無償で提供していたこと及び富吉が昭和三二、三年頃まで生蔵に代わつて本件土地の固定資産税を納付していたこと(これらも賃料の一部に含まれている。)並びに本件土地が傾斜地及び崖地で宅地としての有効利用面積が半分程度しかないことを考えると、近隣貸地の地代に比しはるかに高額なものであり、年額二〇〇〇円の授受が単なる儀礼的な贈答にとどまるものでないことは明らかである。なお、富吉死亡後、伊佐男は賃料の支払いをしていないが、これは、生蔵が伊佐男に対し本件土地の明渡しを要求したところ、伊佐男は借地権を主張して抗争したため、生蔵が右明渡交渉を有利にすすめるため賃料の支払いを請求しなかつたからにすぎず、このことにより賃貸借が使用貸借に変化するいわれはない。

3  生蔵は、横須賀税務署長に対し昭和二六年分富裕税につき本件土地を貸宅地として申告したところ、これがそのまま容認された。

4  伊佐男に対する立退料が一二〇〇万円ですんだのは、原告らの長年にわたる交渉の成果であり、もし、本件土地についての貸借関係が使用貸借にすぎないものであつたならば、かかる金員を支払う必要はなかつたのである。

二  仮に本件土地についての貸借関係が使用貸借であつたとしても、本件相続税の算定に当たつては、次の理由により、本件土地の価額は借地権の目的となつている場合の価額により評価すべきである。

1  昭和四八年一一月一日付直資二―一八九国税庁長官通達「使用貸借にかかる土地についての相続税および贈与税の取扱いについて」(以下「使用貸借通達」という。)6は、「従前の取扱いにより、建物等の所有を目的として無償で土地の借受けがあつた時に当該土地の借受者が当該土地の所有者から当該土地にかかる借地権の価額に相当する利益を受けたものとして当該借受者に贈与税が課税されているもの、または無償で借り受けている土地の上に存する建物等を相続もしくは贈与により取得した時に当該建物等を相続もしくは贈与により取得した者が当該土地にかかる借地権に相当する使用権を取得したものとして当該建物等の取得者に相続税もしくは贈与税が課税されているもの」について、相続又は贈与により所有権を取得した場合には、当該土地が借地権の目的となつているものとした場合の価額によりその相続税又は贈与税を算定すると定めており、昭和四八年一一月一日付直資二―一九〇国税庁長官通達「『使用貸借にかかる土地についての相続税および贈与税の取扱いについて』通達の運用について」(以下「使用貸借通達運用通達」という。)6によれば、右にいう土地の無償借受け時に借地権価額相当額の課税が行われているかどうかの判定につき、「昭和二二年五月三日から昭和三九年一二月三一日までの間に土地の使用貸借の開始があつたものについては、各国税局における当時の取扱いに基づき各国税局で定めるところによること。」とされているところ、東京国税局では、右期間内に土地の使用が開始されたものについては、過去における贈与税課税の有無を問わず、すべて借地権が存在するものとして取り扱つている。

2  そして、本件土地の貸借関係は、前記のとおり昭和二三年に開始したのであるから、使用貸借通達及びその運用通達の定めるところにより、本件土地は借地権あるものとして評価されるべきである。また、本件土地の借受者富吉は昭和二八年九月死亡し子の伊佐男が右土地上にあつた建物を相続により取得したので、その際伊佐男に右土地の借地権相当額につき相続税が課されたはずであり、たとえ課税されていないとしても課税されたものとして取り扱うべきであるから、この点からも本件土地は借地権あるものとして評価されるべきである。

3  被告は、後記のとおり本件土地が関東信越国税局管内にあることを根拠として右土地を借地権あるものとして評価することはできないと主張する。しかし、使用貸借通達運用通達は、物件の所在地によつて扱いを異にしようとする趣旨ではなく、公平の見地から同一国税局管内にある課税主体に対し統一的な取扱いを命じたものであるから、東京国税局管内の神田税務署長が課税主体となつている本件においては、当然、東京国税局の取扱いによつて処理されるべきである。

第七被告の再反論

原告らは、使用貸借通達を根拠として本件土地を借地権あるものとして評価すべきであると主張するが、この主張は、次のとおり失当である。

一  使用貸借通達6は、同通達が相続税及び贈与税の課税に際し使用貸借に係る土地の使用権について今後その使用権の価額を零として取り扱うことを定めそのような土地を相続により取得した場合はすべて自用地として評価することにしたのに伴い、従前、相続税法の規定に基づき土地の無償借受け時に借地権相当額について贈与税が課されていた場合又は当該土地上にある建物の所有者が相続により異動した時に借地権相当額について贈与税又は相続税が課されていた場合には、当該土地に係る借地権の価額に相当する利益に対し二重に課税が行われることを回避するため、その後、当該土地の所有者が相続により異動した際の相続税の算定に当たつては、右土地を貸宅地として評価することを経過的取扱いとして定めているにすぎない。したがつて、土地の無償借受け時等に借地権相当額について贈与税等が課されていない場合には、右取扱いを適用する余地はない。

二  ところで、本件土地の貸借関係は昭和二一年に始まつたものであるが、当時の相続税法には土地の無償借受けに係る経済的利益の享受について課税する旨の規定(現行の相続税法九条に当たるもの)がなかつたのであるから、富吉が本件土地を借り受けた際に借地権相当額の課税が行われたはずはなく、それ故、本件においては右経過的取扱いを適用する余地はない。

仮に、本件土地の貸借開始が昭和二三年であつたとしても、使用貸借に係る土地の使用権に対する借地権相当額の課税は、土地の賃貸借に際して土地使用権の設定の対価として権利金授受の慣行のある地域において、権利金の授受なくして土地使用権の設定があつた場合には、その借受者に経済的利益の享受があつたといえることに基づいて行われるものであるから、土地の所在地及び使用貸借の始期によつて扱いを異にするのであつて、権利金授受の慣行のない地域においては、土地の無償借受けが行われてもその際に借地権相当額についての贈与税課税がされることはない。このようなわけで使用貸借通達運用通達6も土地の借受者たる建物所有者の住所地如何により贈与税課税の有無を判定すべきことを明記している。そして、本件土地は関東信越国税局大宮税務署管内にあり、同税務署では、昭和二三年当時、土地の使用貸借に係る使用権は課税の対象とされていなかつたので、本件相続税の算定に当たり右土地を借地権あるものとして評価することはできない。また、原告は伊佐男が昭和二八年九月に本件土地上にあつた建物を相続により取得したことも指摘するが、この当時も大宮税務署管内では使用貸借に係る使用権は課税の対象とされてはいなかつたものである。結局、原告の前記主張は失当である。

第八証拠 <略>

理由

一  請求原因一、二の事実及び本件の相続税を算定するに当たり定期預金の経過利子三九万一七六四円が総遺産価額に含まれるべきことについては、当事者間に争いがない。

二  そこで、土地の過少評価額について検討する。

1  本件土地が本件の相続財産に含まれていたこと及び生蔵が富吉に対して本件土地を貸し、富吉が死亡した昭和二八年九月二日以降はその子伊佐男に使用させていたことについては、当事者間に争いがないので、右土地についての貸借関係が使用貸借によるものであるかどうかにつき判断する。

<証拠略>に弁論の全趣旨を総合すると、次の(一)ないし(三)の事実が認められる。

(一)  法人組織で洋服生地卸業を営んでいた生蔵は、戦前から福田家に出入りをし折にふれ家屋の修理や雑用の手伝いなどをして同家とは昵懇の間柄にあつた大工の棟梁富吉が戦災によつて焼け出されたのをみかねて、終戦直後、当時たまたま使用していなかつた生蔵所有に係る本件土地上の木造工場に富吉一家を一時居住させたところ、昭和二一年に富吉から本件土地を使わせてほしいと頼まれたので、短期間であるならばと思いこれを承諾したが、その際契約書等は取り交さず、地代や使用期間等に関する取決めは一切行われなかつた(富吉が生蔵方出入りの大工であつたことは当事者間に争いがない。)。

(二)  そして、富吉は、本件土地上の前記木造工場を解体し昭和二一年中にはその木材等を利用して本件土地上に木造家屋を建築して同家屋に居を構え、以来本件土地に係る固定資産税を自ら支払うことにし(納付書は市役所から直接富吉方に送付されていた。)、また、遅くとも昭和二四年からは生蔵に対し年に二度各一〇〇〇円を持参して支払うようになつた。しかし、右固定資産税の負担や二〇〇〇円の支払いの趣旨については格別の取決めがあつたわけではないうえ、右二〇〇〇円の支払いの時期も富吉の都合しだいで一定せず、その支払いについて請求がされたり通帳又は領収書の発行などが行われたこともなかつた。なお、本件土地の近隣賃貸地における昭和二四、五年当時の地代は、坪当たり月額一円七七銭ないし二円七〇銭であり、この割合により本件土地の年額地代を求めると、約六六〇〇円ないし一万円となる。

(三)  富吉が死亡した昭和二八年九月二日以来その子伊佐男が本件土地を使用するに至つたが、伊佐男は、盆暮の二回菓子折程度のものを持参して福田家に挨拶にくるだけで、金員の支払いは全く行わないようになり、固定資産税も福田家で負担することになつた(生蔵が納付書を市役所から同人方に送付してもらうようにした。)。このような状態が続くうち、昭和四〇年頃から生蔵が本件土地の明渡し又は買取りを求めるようになり、その間に右土地の一部につき新しく賃貸借契約を交わすという話も出たことがあるが、生蔵から伊佐男に対して正式の立退要求が出された昭和四五年からは、前記盆暮の挨拶も行われなくなつた。そして、伊佐男は、本件土地について借地権を有することを主張して福田家と対立したが、昭和五〇年七月四日生蔵の相続人の一人である原告信隆との間で本件土地から立ち退くことを合意し、その頃合計一二〇〇万円の立退料の支払いを得て本件土地から立ち退いた(伊佐男が生蔵に金員の支払いをしなかつたこと、伊佐男が立退料一二〇〇万円の支払いを得て本件土地から立ち退いたことは、当事者間に争いがない。)。

<証拠略>中右認定に反する供述部分は<証拠略>に照らして措信しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、本件土地に係る貸借関係は、昔気質の生蔵と富吉との間の年来の特殊な関係に基づいていわゆる旦那が出入りの棟梁の面倒をみてやるということで昭和二一年に始まつたものであり、右貸借に関連して富吉が年額二〇〇〇円を生蔵に支払い、かつ、本件土地の固定資産税を負担していたことがあるものの、これらは、その趣旨について特に取り決められたものではなく(後に伊佐男の代になつてからは盆暮に菓子折程度のものが届けられただけである。)しかも、その額が近隣賃貸地の同時期の地代に比しかなり低額であつたばかりでなく、その後の地代相場の変動も無視されているのであつて、これらのことを考慮すると、右二〇〇〇円の支払い及び固定資産税の負担は本件土地使用の対価としての性格をもつものではなく生蔵の恩誼、好意に対する謝礼であつたとみるのが相当である。原告らは、これらのほか富吉の労務提供があり、これをも加えると傾斜地及び崖地である本件土地の地代として十分なものである旨主張するけれども、右土地の貸借関係成立後における富吉の生蔵に対する労務提供の有無、程度に関する的確な証拠はない。また、<証拠略>には、本件土地の四分の一程度は急傾斜の崖地となつており使用不可能な状態であるとの供述部分があるが、<証拠略>に照らしてにわかに措信しがたく、他に本件土地が地代の額に顕著な影響を及ぼすほどの傾斜地であつたと認めるに足りる証拠はない。原告の右主張は失当である。したがつて、前記貸借関係は賃貸借とはいいえず使用貸借であると認めるべきである。生蔵が提出した昭和二六年分富裕税申告書(<証拠略>)に本件土地が「貸宅地」「貸山林」と表示されていることは右認定の妨げとなるものではなく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  原告らは予備的に使用貸借通達を根拠として本件土地を借地権あるものとして評価すべきであると主張するので、判断する。

原告らの援用する使用貸借通達(<証拠略>)は、相続税法九条に関する個別通達として、使用貸借に係る土地の評価については、昭和四八年一一月一日以降はいかなる地域においても当該土地の使用貸借による使用権の価額を零として取り扱うことを定めるとともに(同通達1)、その経過的措置として、従前の取扱いにより当該土地の無償借受者に借地権相当額に対する贈与税が課されている場合又は当該土地上に存する建物又は構築物を相続又は贈与により取得した者に借地権相当額に対する相続税又は贈与税が課されている場合には、例外的に、右土地を借地権の目的となつているものとした場合の価額で評価する旨定めている(同通達6)。これは、使用貸借にかかる土地の使用権は、借地法等により保護を受けている借地権とは異なり、権利性が薄弱で、社会通念上独自の経済的価値を有するものとは評価されていないのが通常であるので、使用貸借に係る土地の価額はかかる権利による制限のない自用地として評価すべきことを原則とする一方で、ただ、過去に、当該使用貸借に係る土地の使用権の取得又は異動について右使用権者に対し相続税法九条により借地権価額相当額のみなし課税が行われている場合には、既に土地価格のうち借地権価額相当額が課税済みであるといえるので、前記原則を適用することによつて当該土地に係る借地権価額に相当する利益が二重に課税の対象とされる不合理を避けるため、その後の相続税の算定に当たつては、自用地としての価額から借地権価額相当額を差し引いた価額で右土地を評価すべきことを定めたものと解される。

ところで、前記1で認定したとおり、本件土地は、昭和二一年に生蔵から富吉に使用貸借により貸与され、富吉が死亡した昭和二八年九月二日同人の子伊佐男が右土地上にあつた木造家屋を相続により取得したものである。しかし、富吉が本件土地を借り受けた昭和二一年当時は、土地の使用貸借により当該土地の借受者が得た利益は相続税及び贈与税のみなし課税の対象とはされておらず、旧相続税法(昭和二二年法律第八七号)の施行によつて、昭和二二年五月三日以降、土地の無償借受者に対して当該土地の利用権価額相当額の利益が贈与されたものとみなして相続税又は贈与税を課することができるようになり(同法一〇条、附則一条)、これが現行相続税法九条にも受け継がれているのであるから、富吉が本件土地の借受けにつき借地権価額相当額に対する課税を受けていないことは明らかである。また、<証拠略>によれば、伊佐男が本件土地上の木造家屋を相続により取得した際にも借地権価額相当額に対する課税は行われなかつたことが認められ、これを左右するに足りる証拠はない。したがつて、本件について使用貸借通達6を適用する余地はない。

これに対し、原告らは、右課税が現実には行われなかつたとしても、使用貸借通達運用通達6及び東京国税局の取扱いを根拠として使用貸借通達6の適用を認めるべきである旨主張する。右運用通達(<証拠略>)は、使用貸借通達6の適用に関し、(一)土地の無償借受け時に借地権価額相当額の課税が行われているかどうかの判定は、「昭和二二年五月三日から昭和三九年一二月三一日までの間に土地の使用貸借の開始があつたものについては、各国税局における当時の取扱いに基づき各国税局で定めるところによること。」とし、また、(二)当該土地上に存する建物等を相続又は贈与により取得したときに借地権価額相当額の課税が行われているかどうかの判定は、「建物等を昭和三九年一二月三一日以前に相続または贈与により取得したものについては、各国税局における当時の取扱いに基づき各国税局で定めるところによること。」とし、更に、(三)右建物等の所有者の住所地と土地の所有者の住所地を所轄する国税局が異なり、かつ、各国税局における取扱いが異なる場合の(一)(二)の判定につき、「当該建物等の所有者が無償で土地を借り受けた時における当該所有者の住所地を所轄する国税局の取扱いによること。」と定めている。これによれば、本件においては、まず、本件土地の無償借受け時が昭和二一年であるから当時の法律上右(一)の課税が行われていたかどうかを問題とする余地のないことは前記のとおりであり、また、伊佐男が本件土地上の家屋を相続した昭和二八年当時に右(二)の課税が行われていたかどうかは右家屋所有者の住所地である埼玉県大宮市を所轄する関東信越国税局の当時の取扱いにより判定すべきものとなるところ(原告が本件土地所有者の住所地を所轄する東京国税局の取扱いによるべきことを主張するのは、運用通達の前記(三)の定めに反するし、実質的根拠もない。)、弁論の全趣旨に徴すれば、関東信越国税局では当時前記(二)のような課税はしていなかつたことを認めることができる。

したがつて、原告の主張は失当というほかない。

3  以上説示したとおりであるから、本件土地を借地権の目的たる土地として評価することはできず、使用貸借に係る土地については、特別の事情のない限り、当該使用権の価額を零とし自用地として評価することも是認されるものというべきである。そして、本件土地の自用地価額が二三〇二万二〇一九円であることは<証拠略>によつてこれを認めることができる。そうすると、右二三〇二万二〇一九円から当事者間に争いのない原告らの申告額九二七万六二五〇円を控除した一三七四万五七六九円は、土地の過少評価額として本件の総遺産価額に加算すべきものである。

三  右の次第で、本件の正当な総遺産価額は、原告らの申告額二億九六七一万三五六一円に前記当事者間に争いのない定期預金の経過利子三九万一七六四円と右二で認定した土地の過少評価一三七四万五七六九円とを加算した三億一〇八五万一〇九四円となり、本件課税処分がこの範囲内で行われていることは明らかである。

四  よつて、本件課税処分に原告ら主張の違法はないから、原告らの本訴請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤繁 川崎和夫 菊池洋一)

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